4.デザイン-設計過程と表現スタイルの仮説

 

前提  4つのステップ

 黒部川第二発電所の設計時の資料として現存するものは、既にここで取り挙げている、実現案に至る前の計画案である4つの外観パースのみであり、設計図等は発見されていない。これらの外観パースを見ると、デザインスタイルがそれぞれ異なるとともに、計画案一と題されている案と最終実現案とではプラン構成が大きく異なることが読み取れる。
 そこで、なぜこのようにプラン構成が変化していったのか、またどのような考え方を展開させながら設計作業が進められていったのかを把握するため、4つの外観パースを手がかりに、実現案へ至るまでの過程のシミュレーションを行った。
 ここでは、計画案一をステップ1、ほぼ同様の内容を持つと思われる計画案二と計画案三をステップ2、最終的計画案をステップ3、実現案をステップ4と名付ける。この4つのステップは、必ずしも時間的推移を示すものではないが、各ステップにおける各計画案は時間的前後関係を有するとの仮定のもとに、以下のような分析を行った。

 

◎ステップ1(計画案一)

 当発電所の主機能は発電と変圧である。3本の送水管が上流の小屋平ダムから引き込まれ、それぞれの送水管に発電タービンが一つづつ繋がる。またこの発電所は、厳冬対策及び景観対策として建物内に変電設備が取り込まれ、その放熱のための換気塔が設置される。この換気塔は、ここで発電された電気を送り出す経路としても利用される。 このような機能に対応するプランを素直に発想すると、次のようになると思われる。

 すなわち、3つのタービンを並列させて中央に配し、山側に変電設備、これを挟んで左右に換気塔を配置するという、桁行5スパンの左右対称形プランである。設計の初期段階としてはこのようなシンメトリー構成が最も自然な配置であったと考えられる。

 左右両端に対称形に突出した換気塔の表現はこの段階で定められ、実現案までこれに変化は見られない。この左右の耳のような突出は、同じくシンメトリーを基本として設計されているワルター・グロピウスのドイツ工作連盟展モデル工場(1914)の左右の耳を思い浮かばせる(図-1)。

 これに対して前面のマッスにおいては、対称性の表現は避けられている。下端を画然と区切らせることによる箱型の強調、あるいはガラスカーテンウォール窓割りの規則性は、ヒッチコック+ジョンソンが挙げたインターナショナルスタイルの特性を典型的に示しており、グロピウスのバウハウス校舎・実験工房館(1925)とイメージを一つにするものである(図-2)。

 また、建物下端の水平処理は、壁面構成の基本として実現案に至るまで踏襲されている。この建物の指令塔の役割を担うコントロール・ルームは屋上に設けられ、プロポーションの外にアクセントとして配される。

計画案一

 

図-1 ドイツ工作連盟展モデル工場 1914年 
     ワルター・グロピウス
 

図-2 バウハウス校舎実験工房館 1925年 
     ワルター・グロピウス

 

◎ステップ2(計画案二、三)

 この段階ではガラスカーテンウォールの面積が縮小され、表現としてのアピール性はステップ1より後退している。これは、施主サイドのカーテンウォールへの理解度と関連しているものと推測される。

 カーテンウォール部分は、デザイン上基本マッスから遊離するよう扱われる。

計画案二

 

計画案三

 

◎ステップ3(最終的計画案)

 この段階では、諸機能がほぼ整理されたものと考えられる。

 従属的諸機能は一括され左側にまとめられる。3基の発電機は、スパン中央の配置から柱軸に重なる配置へと変化している。母線室が右側でなく左側に配置された理由としては、右側に設けた場合に搬入動線との関係から母線室の必要長さが確保できないためと考えられる。このとき、整理一括された従属的諸機能の空間は、プラン構成上、主機能空間と同格の独立的要素となり、ステップ1~2とは異なる構成概念によって整理し直す必要が出てくる。

 ここでさらに推測を深めると、「L型に固められたいわばリジッドな部分に対して、発電機置場をボイドな大空間と見倣すこと」が、新たな空間構成概念であると考えられる。住宅におけるサンルームのような意識でこの吹抜け大空間を捉えると、そのL型の覆いは当然他の部分と異なる表現が要求される(図-3)。この要求への対応として、カーテンウォールを採用することが最も素直な手段と考えられる。しかし、その大々的な使用は、施主サイドの意向により難しかったため、発電機室をL型に覆うフレームワークが登場したものと考えられる。これによってカーテンウォールは、独立的要素となった従属的諸機能群の立面に控えめに存続することとなった。

 

 このフレームワークのモチーフが何に由来するかは明らかではない。ただ、吉田鉄郎の設計になる東京、大阪の両中央郵便局との明らかな近似を見ることができる(図-4)。

 東京中央郵便局は、もともと武富英一によって設計され(このとき山口文象は製図とパースを担当した)、関東大震災のため中断されたものを吉田鉄郎が手直しし、現在の形で竣工している。武富英一の立面はウィーン歴史主義のルネサンススタイルの影響下に設計されていて、その装飾をはぎ取って近代的な姿に手直ししたものが今の外観であり、後述するように山口文象によると、吉田鉄郎のオリジナリティはその後に設計された大阪中央郵便局にあるという。

 東京中央郵便局は柱芯-柱芯のヨコ寸法とタテ寸法の比が1:1のプロポーションを成しているが、黒部川第二発電所も同様のプロポーションを有している。両者の異なる点はルネサンスの名残である柱脇の袖壁の有無であり、東京中央郵便局からこの袖壁を取り去ると、両者の窓のプロポーションは一致する(図-5)。

 ところで、1930年代に入る頃から、欧米諸国においてモニュメンタリティのある硬質な表現が時代的な傾向として見られるようになる。それらはいわゆる社会主義リアリズムやナチのモニュメンタリズムのような極端な擬古典主義をその典型とするが、それ以外に合理主義的な古典主義として見い出される例もあった。

 黒部川第二発電所におけるフレームワークは、吉田鉄郎の2つの中央郵便局とともに、この上に述べた時代傾向に重なり合う部分をも持っているとすることは、この時代の世界的な時代背景を考えるとき必ずしもうがち過ぎた見方でもないものと思われる。この案が山口文象自身が非常に良くないと思っていたと自懐していること、日電社長に気に入られた案であることを考え併すと興味深いところである。

 黒部川第二発電所と東京中央郵便局の両者を注意深く見比べると、最上部(中央郵便局ではプロポーション外の屋階を除いた部分)に造形処理上の相違がみられる。中央郵便局では、スパンドレルと柱型は櫛形に連続している。これは武富英一によるルネサンスの名残であろうが、その櫛形の意味するものは、ルネサンスから装飾が剥ぎ取られたことにより力強さが増した点である。装飾を欠いた櫛形は、上述した合理主義的な古典主義と共通する表現となっている(図-6,7)。

 一方、黒部川第二発電所の場合は、最上部のスパンドレルも柱に対して他と同じ深さで納められており、凸状の柱を最上部で見切るものは、十分に突出した庇である。柱型がスパンドレルに優先する点は古典主義といえるが、そのフレームワークの表現は基本的には単なる合理主義に留まっており、シカゴ派のスケルトン・アーキテクチュア(グリッド・エレベーション)にむしろ近いものである(図-8)。

 また、この立面は基壇を礎として立ち上がっているのではなく、建物を浮き立たせる水平処理の上に成り立っている。したがって、そのフレームワークにおいては柱よりもグリッドの概念が優先している。

 

最終計画案

 

図-4 東京郵便局 1934年 吉田哲郎

 

 

図-6 東京中央郵便局の櫛形表現

 

図-9 Haus des Rundfunks(BERLIN)
     の櫛形表現 1930年
  Hans Poelzig 

   

図-8 シカゴのスケルトン・アーキテクチュア
     (グリッド・エレベーション)
     レイク・ビュー・ビル 1906年
     ジェニー・マンディ&ジェンセン

 

 

◎ステップ4(実現案)

 従属的機能が左側に一括されることとなると、指令塔のみが右側に存続することは、使い勝手から考えて不自然である。指令塔もまた左側に配されることは必然の成行きとなる。

 この発電所の諸室配置で最も不可思議な、指令塔が入口から最も遠いところに配されるという結果は、こうして最後のステップで生じたのである。入口に係わる動線は、発電所という建物の性格を考えるとさほど重要とはいえず、このような結果は最終的に矛盾を引き受ける納まりどころとしては順当なものであると考えることができる。

 付属機能を納めた左側のマッスの上部にかぶさった指令塔は、造形的に扱いにくい屋上突起物となるが、その処理に用いられたものは、突出物の周囲に巡らされた庇である。突出物のマッスに対し、その部分のみを取り出すとディスプロポーションとも見えるこの庇は、全体を仕上げるための最後の修辞となっている(図-9)。この庇は、ドイツ工作連盟モデル工場の屋上突出物に見られる安定板のような庇に似ているようにも思われる(図-10)。

 同時に、左側のマッスの下端は、あたかもコルビュジエのサヴォア邸やガルシュの住宅のように、一層分くくり上げられる。これによってマッスは上の安定板と下の水平線の間に浮かんだように見える(図-11)。

実現案

 

図-10 ドイツ工作連盟展モデル工場 1914年
      ワルター・グロピウス

 

図-11 ガルシュの住宅 1927年 ル・コルビジェ

 

結論

 ステップ1の立面は、インターナショナルスタイルを概念的に表現したに留まっている。
 ステップ1からステップ4に向けての諸機能の分析整理に並行して、平面プランが変化していったと考えられるが、これに対して一般的なインターナショナリズムのヴォキャブラリーを着せ替えるといった手段では、的確な表現は期待し得なかったであろう。
 古典主義への傾斜の高まる時代背景の中で、その兆しも感じさせるきわどい表現を敢えて用いたところ、また機能及びプランに対応し得る適切な手段を模索選択して合理主義建築としてこの建物を完成させたところに、山口文象の並々ならぬ力量と判断の確かさを読むことができる。
段階 ステップ1 ステップ2 ステップ3 ステップ4
  計画案一 計画案二 最終計画案 実現案
対応案

 

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